広島に原爆が投下されてから74年、8/6の早朝、平和について考える地域の集いにお招きいただき、私なりの考えをお話する機会を頂きました。
私の祖父は終戦間際に硫黄島で亡くなりました。父は5歳で終戦を迎え、母一人の手で育てられました。このため父と囲む夕食では必ず、「戦争がいかに悲惨か、戦後の経済発展がいかに劇的か、そして今いかに恵まれているか」という話を聞かされてきました。泊まりに来た友人が夕食の会話を聞いて、「毎日こんな話をしているの?」と驚いたほどです。
その結果私は、特に終戦の日に至るこの時期、関連する報道を目にする度に、「まだ理解が足りていない、本当の悲惨さを知らない」と、自分の至らなさを責められるような感覚を抱くようになりました。「戦争を無くしたい、核兵器を無くしたい」と思っても、本心から思えているのか、もしかしたら言わされているのかもしれない、と不安でした。
ところが今朝、平和を望む人達と集い、原爆投下の瞬間に思いを馳せ、意見を述べ合う機会をいただいたことで、心の底から「戦争を無くしたい、核兵器を無くしたい」と思えたのです。(理解が不十分な)私でもそう思ってもいいんだ、と肩の荷が下りた瞬間でした。
忘れられない日になりました。
# 写真は今朝の早朝の北東の空(世田谷区から都庁方向)です。
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