今回お招きした専門家は、市民防災研究所 池上 三喜子 先生。事前の打ち合わせを踏まえ、以下についてお話いただきました。
【過去事例】
阪神淡路大震災では97%の人が地域の方に助けられた
・発生時間が早朝で、家族とともにいた。新幹線も始発前で、高速道路も通行が少なかった。
・さらに、「六甲おろしが」吹いていなかった(報道の映像で、煙が真上に上がっていた)ため、死者数等が抑えられた。
・都の想定は、風速8m、夕方6時で、家族がバラバラにいることを想定。
東日本大震災を経て要配慮者の名簿の扱いが変わった
・福祉避難所には、人工呼吸器や車いすを利用される方の受け入れを想定していたが、福祉避難所がどこにあるかわからなかった。
・一般の小中学校(指定避難場所)から、福祉事務所に移動、という手順はやめて、最初から要配慮者の住まいを、見守り活動などを通じて把握しておき、助けてくださいと事前に表明している人については、福祉避難所に直接行ける仕組みを普段から作るべきだが、このあたりが最も遅れてていて、できている地域は全国で1割に満たない。
被災経験者が訴える、地域のつながりの大切さ
災害を経験した人がつながりの大切さを訴えるようになること
・阪神淡路大震災の永田消防団の記録をまとめた「祈りの足跡」は、市販はされていないが、消防庁のリーダー研修で利用されている。人のつながりが大切であるという内容で、首都直下型地震が起きた時の参考になる。
新たに求められるコミュニティに求められる役割
・福祉避難所への移動は、(一般避難所を経ず)直接行く必要があり、その移動に、地域の力が必要。
・水害に弱い地域の町会が、町会加入にメリットがあることを押し出した取り組みをしている。障害がある方のご家族も巻き込んで、水害が起きるとその後住めなくなることも考えて、JRを使って上野まで避難する訓練をしている。
・火災を減らすためには、家を頑丈にして耐震性を高めるとともに、家具転倒防止を実施。加えて、感震ブレーカーをつけて通電火災を防ぐのが有効。
要配慮者(高齢者、障碍者、乳幼児)の名簿の扱い
・災害を経験した人がつながりの大切さも気づく。
・仙台では避難所の洗濯に困る人が多く、洗濯ボランティアが自発的に発生。その後の災害でも仕組みとして続いている。
・女性の防災担当者が必要。さらには自治会の役員に女性や障害者を支える家族、外国人も入るといい。
・東日本大震災の経験から、食料を備蓄すれば安心となりがちだが、それよりも、けがをしない、命を落とさない備えが大切。具体的には、耐震化に加え、住まい方(家具の固定落下、移動防止、ガラスの飛散防止、古い額を外すなど)が大切。
・東日本大震災では、若い一人暮らしの人が備蓄していなかったため、ご近所に助けてもらって関係ができた。学生仲間が、他の被災地の支援に入るといった連鎖反応も起きている。
・日頃、身体が弱っている80代の人のゴミ出しや掃除の手伝いを、中学生が担うなどすることで関係性を育んでいる地域もある。
・マンションも、おひとり様や孤独死が起きてから、二度とないようにと立ち上がるのでは遅い。一人も取り越さない、日頃から助け合える関係を率先して作っていきましょう。
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